ブログを書けなかった日々のこと

 

最後にブログを更新してから4ヶ月も経ってしまった。この4ヶ月の間、本当に色々なことがあって、どうしても何かを書く気分にはなれかったのだけど、そんな日々に一区切りつけたいと思って、おっかなびっくりキーボードを叩いている。

 

 

4月に祖母が入院して、5月に容態が急変して、小康状態がしばらく続いた後、6月に亡くなった。元々抱えていた病気が悪化しての入院だったからある程度覚悟はしていたけれど、一進一退を繰り返しながら、それでも着実に衰弱していく姿を側で見続けることは、想像以上に辛く、大変なことで、心底疲れ切ってしまった。


祖母のことは好きだったけど、苦手なところもたくさんあって、最近はその苦手なところばかりが明確に見えてしまっていたものだから、素直に悲しいというより、これ以上彼女を恨まなくていいんだと少し安堵してしまったのも事実で、それがまたずっと苦しかった。


祖母は社交的で明るい人だったけど、人に弱みを見せるのが嫌いで、そして、とにかく物を捨てることが苦手だった。祖母が入院してから、少しずつ家の片付けを両親と始めたのだけれど(入院前から再三再四にわたって父がお願いしていたけど、頑として聞き入れてくれなかった)本当に絶望的な気持ちになるのだ。何年も前に賞味期限が切れた乾き物や缶詰がどさどさ棚の奥から出てくる。そしてたくさんの服、本、美術関連のあれこれ(祖母は絵を描く人だった)。すべてが埃をかぶって、まるで打ち捨てられているかのようだった。どんなに物がたくさんあっても、それが大切にされていることが分かれば、こんなに辛くなかったと思う。だけど、大切にされた形跡がなく、少なくとも十年、下手したら数十年は触れられもしていないであろうひどい状態で出てくる物体を本当にたくさん見ると、どうにもこうにも気が滅入ってしまうのだ。そして、全てがそういう状態だと、一体祖母は何を愛していて、どう暮らしていたかが見えてこなくて、それがすごく悲しかった。


もっとたくさん会いに行って、もっとたくさん話すことができていたら、こんなに空虚な気持ちにはならなかったかもしれない。放って置かれたまま歳月だけが流れているようにしか見えなかったたくさんの物たちに、どんな意味や思いが詰まっていたのか知りたかった。最後まで苦しい素振りをほとんど見せなかったけど、本当はどんな気持ちでいたのか理解したかった。
ただ純粋に悲しい気持ちでいたかったのに、あの長かった日々が終わったことにほっとしてしまった自分がひどく冷酷な人間に思えて辛いし、後悔、虚しさ、怒り、喪失感…とにかくあらゆる感情でいっぱいいっぱいで、何だかいろいろなことに身が入らないし、深い泥に足を取られているような気分だった。今もずっと。

 

 

そんなときに、ウォヌくんが初めてのカバー曲を発表した。
軽い気持ちで再生ボタンを押して、流れてきた優しい声に訳もわからないまま涙が出て、歌詞を調べて今度こそ本当に涙が止まらなくなってしまった。そして、自分がこの数ヶ月の間ほとんど泣いていなかったことに気がついた。

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Weverseで彼は季節の変わり目にずっと留まっているようだと言っていた。何で分かるんだろうと思った。この4ヶ月間、ずっと自分が停滞して、どこにも進めていないような気がしていた。彼の悲しみに触れたことで、自分の悲しみにも触れられたような気がした。そして、そろそろ踏み出したいなと心底思った。


この曲がCaratの慰めになってくれればと願ってくれたウォヌくんに、ちゃんと届いて、確かに助けになったよと伝えたくて、今私はこの文章を書いています。風に流れて届いたらいいな。ウォヌくんが少しでも心穏やかな日々を送ることができるよう、心から願っています。本当にありがとう。

 

 

そして、もう会えなくなってしまったあの人に、夢の中で会えることを願おうと思う。会えたら会えたで、私はきっと底抜けの明るさや能天気さに内心イラッとしてしまうかもしれないけど(社会人になった瞬間に結婚はいつかしら?と聞いてくるのはやめてね)、あなたが描いた海の絵が昔からずっと好きだったと伝えたいよ。今まで本当にありがとう。